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これからの海外駐在幹部は何をどう学べば良いのか

これだけ経済のグローバル化が進み、世の中が日々動き、経済活動の情報が瞬時に世界中を回るようになると、昔の日本企業のように、何か新しいことが起きたらプロジェクトチームを組んで現地に派遣し、様々な場所を訪ねて調査し、帰国してレポートを日本語にしてまとめて提言するといった悠長なことをしている暇はなくなりました。日本でもインターネットを使って本社で多くの情報が取れるのですが、やはり現地で経済や経営、同業他社との競争状況、消費者の動きに接している人が、自分の目や耳で情報を取って、それを咀嚼し、現場発の戦略としてまとめていく必要が高くなっています。その際に、自社がやっていることを明確にまとめて相手に語れることが重要になります。

そこでは自分の見聞きした体験を思考し理論化する枠組みが必要です。このような概念化はお互いの暗黙の経験を長年知った人同士で共有することでやってきた日本人にとっては苦手な分野でした。しかし、現場の責任を任された日本企業の経営幹部は、今やそんなことは言っていれない時代になりました。日頃ローカルの従業員相手に、自社がどのような歴史や企業文化を持ち、現在どのような戦略にもとづいてグローバルな事業を進めているのか、機会を儲けて話すことは自分の経営思考の立脚点を持つのによい訓練になります。自分達が営業や工場の現場で日々やっていることは、企業全体の戦略や企業の歴史や文化とどのようにつながっているか、欧米の同業他社とどのような戦略の相違を持って競争しているのかなどを整理して話していれば、体験や具体的課題を理論化するプロセスが身についてくるのです。本社の戦略や現地の課題を日本人派遣社員だけで飲み屋で集まって話している時代は終わったのです。

私は、日頃企業研修などで、グローバルに比較する思考と、歴史を振り返ってみる思考が、これからのグローバル人材にとりとても重要だと話しています。特に、アメリカの企業と日本の企業はその持つ人的資源や他の企業との関係、おかれている競争状況が大きく違っています。グローバリゼーションの中では、アメリカ企業を前提にした経営理論が主流を占めていますが、それは極端に言えば、特殊アメリカ企業だけを説明できる理論で、日本企業の行動原理は違うと考えておいて間違いありません。それを皆さんは現場の体験を概念化することでローカル社員や海外の取引先に伝えていくのです。このような違いは、常にグローバルに比較する思考の中で整理しておく必要があります。

また、日本がどのようにしてアジアの中で唯一近代化に成功したのか、その中で松下幸之助や本田宗一郎などの企業家達は、単に利益を追求したのではなく、従業員中心、現場中心の発想で、社会貢献を視野に入れて、結果として利益を挙げ成長したことなどを整理していけば、日本企業独自の文化や歴史の重要性が理解できます。その上で自社の歴史や文化を整理し明らかにしておけば、これからの現地戦略でも、自社として何が優先課題となるのかがおのずと判断が出来るようになります。日頃、そのようなことを繰り返し言っていれば、あの日本人幹部は何でも分かりやすく言ってくれ、しかも企業に対するコミットメントが高いとして、ローカル社員の尊敬を得ることは間違いありません。

いろんな経営学の理論を見ても、企業リーダーにとって最も重要な能力は、実務能力や対人能力ではなく、このような概念化の能力だとされています。もっとも、実務の知識や能力、対人能力が無い人には、いくら理論的であっても誰もついてきませんから、実務を良く知っており、人を大事にする上に、強い論理的、概念化の能力を持つというのが現場のリーダーにとって要求されるといったほうがいいのかもしれません。

このような理論化、概念化の能力をつけるには、日々の勉強が大事です。様々な理論的な本に目を通し、時にはMBAコースなどで開かれるセミナーにも参加することは無駄にはなりません。例えばシンガポールの幹部教育機関のセミナーでは、世界のさまざまな企業幹部が参加しており、グローバルな視点を磨き、自分の日本や自社のことを概念化し説明する能力も磨いてくれます。そこで、無理してでも自分の意見を言う必要があります。例えば、自社の活動が利益第一ではなく常に業務の中で社会貢献を視野に入れてやっていることなどを論理的に説明すれば、英語はとつとつとしていても、皆耳を傾けてくれます。米国やシンガポールの企業にとり、社会貢献は業務の外枠で、別立てで無理してやっている行為だからです。このような場で何も発言しないと、あの人とは付き合っても仕方が無いぐらいにしか思われません。
このようにして、駐在員は勉強という自己実現と、ローカル組織運営の向上という組織の成功の両方を達成することができます。これまでの、日本人駐在幹部は組織の成功が全てで、そのために休日は日本の取引先とのゴルフ、夜は日本からの出張者のための宴会で時間をつぶしてきました。もうそのようなことはやめて、もっと自己実現とのバランスを図るようにする時代であり、また本社でも勉強もしないで接待にうつつをぬかすような幹部はグローバル競争の中では無用と思い始めているのです。

こう考えてくると、日本人の海外駐在員も、英語をベースにした専門知識、グローバルな理解、歴史認識、などを身に付け、アジアの若いグローバルに通用する人材のリーダーとなることが求められていることが明らかです。本社の指令の現場への通訳で『思考なき肉体力』に過ぎなかった駐在員の時代は終わり、グローバルで論理的な思考をし、現場からの価値想像力を持つ『頭脳を持った肉体力』の時代が来ていることを肝に銘じて、駐在員幹部の皆様が自立のための勉強に励まれることを望みます。
# by masakuhara | 2007-07-11 18:21

グローバリゼーションと中国、インドの人材の国際分業への参入

ここでこれからの日本のビジネス人材養成を考えるにあたり、中国とインドの経済成長の中で、日本の位置づけがどのように変わったかを概念として理解しておくことが重要な気がします。1987年の大前研一(『トライアドパワー』)による世界の三極体制によれば、当時米国のGDPの2分の1を占め、EUを抜いた日本は、押すに押されぬ世界の三極体制の柱に躍り出て、この3極で世界のGDPの70%を占めるに至ります。その後の日本経済の長い低迷と資本主義化した中国とIT大国化したインドの勃興は、旧来の三極体制を崩壊に導きます。国際的に有名なマーケティング大家のShethエモリー大学教授によれば、米国が経営力による世界の本社機能、中国はオフショアリングによる世界の工場機能、インドはアウトソーシングによる世界のIT頭脳機能、を分担する新たな三極体制に移行しているとされます。

アメリカは2001年9月11日以降、海外からの移民に対するビザを絞ることになりますが、自国に優秀な労働者を移民として受け入れなくても、IT技術の発達により、中国の低賃金工場労働者と優秀なエンジニアをサプライチェーンに組み入れ現地で使い、インドの優秀なIT技術者やコールセンターのオペレーターをアウトソーシングによりバンガルーに居るままで使うことができるようになります。この3国は英語をベースとしたインターネットによるネットワークで結び付けられていますので、そのようなネットワークを自由に操れる米国の多国籍企業は、グローバリゼーションの最大のメリットを得ていることになるのです。今や中国とインドを中心とするアジア諸国は英語を自由に操るプロフェッショナルな若手人材を通じ、米国を中心にした先進国経済と直接結びつくことになり、知識労働者を通じ情報は瞬時に動き、時間空間を超えて安価で最適の人材がグローバル企業によって活用されているのです。

製薬やITの研究開発までもが市場が大きく人材の居るインドや中国にシフトし、これまで日本のつくばに拠点を置いていた欧米製薬会社は拠点の廃止を検討しています。日本はグローバルに通用する人材が不足しているために、この新しい三極体制に乗り遅れている可能性があります。日本の製造業は現在までのところ中国の工場との分業体制で、多くのメリットを得ており、そこでは日本語を学んだ中国人や中国語を学んだ日本人が知識やノウハウを移転し、工場をマネジしています。しかし、上記のような新三極体制が優勢になってくると、英語とITを媒介にしたグローバルなオペレーションとなりますので、日本製造業の優位性が失われる可能性があります。日本企業も早く中国人やインド人のグローバルヒューマンタレントを人材の中核に起用し、新たな三極体制の中での位置づけを固めておく必要性が高いのです。
# by masakuhara | 2007-07-11 18:19 | アメリカ型資本主義

世界の大学間競争

この半年各地を回りビジネス教育の現場経験を続けて来ました。ブルガリアでは教室は何とか資格を得て自国を脱出しEUで職を得ようという若者の熱気であふれていました。この大学院の代表者二人は私とほぼ同年齢で、外国語はロシア語とドイツ語を少々、英語は全く通じません。ところが40歳以下になると突然流暢な英語を操る若者が大量に出てきます。大学院に来るような人の能力水準は非常に高く、これが流暢な英語を操り、米国流の経営戦略論を語るのを聞くと、明日からでも英国の金融機関で働けそうです。しかし、そのような若者同士の競争は激しくなっています。

シカゴでは、多くの若年勤労者が、毎晩6時から9時までの夜間のビジネススクールに必死で通ってきます。大学卒の学歴だけでは中間管理職への登用もままならず、MBAはキャリアアップのための必要最小限の免状です。私の教えた夜間のビジネススクールには何と3000人もの学生が在籍し、シカゴのダウンタウンの真ん中に巨大なビルを買い取って、100ぐらいありそうな全ての教室が毎晩満員です。MBAコースの競争が激しいので、この学校では差別化を図るため、インドや中国、韓国、ベトナムなどアジア諸国出身の米国で博士号を得た教員を多く採用し、国際化を売り物にしています。

シンガポールのSMUは2000年に国策で新設された、ビジネス、会計、IT,経済学・社会科学、法、の5学科を抱える文科系の大学です。皆さんが街中を通るときに目にするその立地と斬新な設計を見るだけでも、シンガポールをグローバル教育の拠点にしようという政府の力の入れ方が分かります。地元の高校でトップクラスの成績を得た学生と、シンガポール政府の奨学金を得たインドなど近隣諸国の優秀な学生が入学しています。最大の教室でも55人収容という設備の整った階段教室で、欧米から採用された教員や欧米の一流大学で博士号を得たシンガポール人教員が、アメリカ型のビジネス教育を行っています。学部長によれば、教育内容があまりにもアメリカ型になりすぎており、アジアの経営についても力を入れたいというのが、私が頼まれた「日本企業経営」の科目を新設した理由のようです。

このように欧、米、アジアと3大陸を回ってビジネス教育を経験してみると、世界の若者が世界に通用するグローバルヒューマンタレントととなるべく、競って英語をベースとしグローバルな視野を持ったビジネス教育を受けていることが分かります。

皆さんご承知の通り、シンガポールは経済効果のある大学レベルの教育機関の誘致育成を国策とし、アジア太平洋地域での国際教育の拠点国家となることを目指しています。その中で、ビジネス教育については、単に大学教育だけではなく、アジアの地域本部を置く多国籍企業の幹部教育訓練のセンターとなることも目指して、特に力を入れています。国内のNUS,NTU、SMU3大学はいずれも世界レベルのビジネススクールを持ち、シカゴ大学やINSEADなど世界一流のビジネススクールがシンガポールにキャンパスを持ちます。日本からも早稲田大学ビジネススクールがNTUと提携して、進出したばかりです。SMUでは企業の幹部教育の特別のプログラムを持ちますが、既に日本の大手金融機関がアジア地域の人材育成のプログラムを発注しているそうです。

国際的な研究や教育の実績や体制が整っているかを基準にした、Times社によるアジアの総合的な大学ランキングでは、北京大が1位、シンガポール国立大学(NUS)と東京大学が並んで3位に入っています(2位はオーストラリア国立大学)。 各大学は次のような多数の留学生を抱え、優秀な留学生の獲得競争の成果がこれらの大学の地位を決める一つの要因となっているようです。
総学生数長期留学生短期留学生国数
北京大学46千人1825人1200人80カ国
NUS32千人8500人925人88カ国
東京大学28千人2269人-88カ国

このランキングを見ると日本からは他に、京都大学(7位)、大阪大学(19位)が入っていますが、中国が清華大学(6位)、香港大学(8位)、香港中華大学(13位)、香港技科大学(15位)、と入っているのと比べると見劣りしますし、シンガポールからはNTUが16位にはいっています。日本の大学がランキング入りしているのは、多分に理科系の国際敵競争力によっている面が多く、これを文科系で比較すればおそらく日本の大学はどこもランキングに入れないことが危惧されます。

表。アジア太平洋のトップ20大学(出所:The Times Higher World Rankings Oct, 2006)
1Beijing University11Queensland University
2Australian National University12Auckland University
3Singapore National University13Chinese University of Hong Kong
4Tokyo University14Indian Institute of Technology
5Melbourne University15Hong Kong University of Technology
6Tsing Hua University16Nanyang Technological University
7Kyoto University17Seoul National University
8University of Hong Kong 18Indian Institute of Management
9Sydney University19Osaka University
10University New South Wales20Otago University


このように、これからのアジアの大学はグローバルヒューマンタレントの養成をめぐって熾烈な競争に入っていくものと考えられますが、日本の大学の実情、特にビジネス教育面での競争力はお寒い限りです。英語をベースにした専門教育に取り組む大学は数えるほどしかありませんし、そこでも英語で専門教育を行える日本人教員の人材不足は大きな問題となっています。また、日本の大学は語学の先生もファイナンスの先生も同じ給与のため、国際的に見てビジネス教育を行う教員の給与レベルが低くなりすぎて、米国人はおろか、インドや中国からも英語でビジネス教育を行う優秀な人材を日本の大学で雇うことは困難になっています。

このような現状を考えると、日本企業は当面はシンガポールあたりの教育インフラを利用してグローバルヒューマンタレントの採用や訓練に取り組んだほうがいいのかもしれません。
# by masakuhara | 2007-07-11 18:17 | アメリカ型資本主義

グローバリゼーションとグローバル・ヒューマン・タレント

筆者は九州別府の新設大学で留学生の教育に携わって6年になります。この間、英語のみで授業するMBAコースの設立運営を行ってきました。昨年の8月から半年間研究専念期間ということで、ブルガリアのソフィアに始まり、米国シカゴと回って、この年初からシンガポールに来て、シンガポールマネジメント大学(SMU)で研究の傍ら、”Management in Japan”のタイトルで学部生に授業を行って来ました。

シンガポールには1980年代に銀行の出張で何度か訪れて以来ですので、その変貌と現在の繁栄振りにひたすら驚いてこの3ヶ月を過ごしました。幸か不幸か銀行員時代と違い大学では滞在費も出ませんので、古いアパートの狭い1室を間借りして、公共交通を利用し自分の足で町を回っていると、繁栄の陰にも様々な問題があることも見えてきます。特に若者が、過剰なまで入れ物だけが整備された数多くの高等教育機関の中で、だんだんスポイルされてきている感じは強く感じました。また、日本経済との関係では、様々な日本の消費財が街の商店街で定着している一方で、日本の金融機関の数が大幅に減り、昔のような地域経済の中での大きな存在感の無いことにも気がつきます。

さて、シンガポールに来て、フィリピン、マレーシア、タイ、インドネシアからそれぞれ訪ねてくれた私の日本の大学の卒業生と話していて、彼らがいずれも複数の日系を含む国際企業でいい仕事についており、何人かは既に複数の企業を転職し、しかも、いつでも他の一流企業からオファーを受ける状況にあることに驚きました。しかもそのような人材のアジアでの就職情報がシンガポールを中心に回っているようです。

アジア地域の多国籍企業拠点では、英語で一定の専門教育を受け、グローバルな生活経験のある人材を求めており、現状では、供給に対して需要が過多で、そのような人材は簡単に東京でも、香港でもシンガポールでもどこでも職が得られるのです。

そこで、このような人材を『グローバル・ヒューマン・タレント(GHT)』と名付けて、その定義を検討してみました。そこでの基本要件は次のようになると思われます。
英語による専門教育を受けていること、
グローバルな視野と経験があること、
歴史的視野とアジアという地域特有の文化や伝統に対する理解をある程度もつこと、
多様な人々の間でのコミュニケーション能力を持つこと、
まだ若く、家族などのしがらみも無いので、どこの国に移動しても働けること、
これらの要件を整えれば、アジアの若者は国籍を問わず貴重な人材として多国籍企業でかなりの所得を得ることが出来るのです。

シンガポールで、何人かの日本企業の現地代表者と話していると、このような人材を数多く雇い活用できるかどうかが、これらの企業の今後のアジア地域での競争力の鍵になるようです。ある大手自動車部品メーカーはそのためにアジア人材本部をシンガポールに設けたそうですし、ある大手金融グループでも、シンガポールでアジア全域のプロフェッショナルな人材を採用する方向で検討中だそうです。
# by masakuhara | 2007-07-11 18:12 | 日本の欧化

ドイツとアメリカ

ドイツとアメリカ_d0020127_12283616.jpg昨夜シカゴにヤンソン指揮バイエルン交響楽団が来たので、シンフォニーホールに聞きに出かけました。ヤンソンの得意なショスターコビッチとシベリウスです。ホールは大学から1ブロック、開演30分前に行けば安い券が手に入ります。メインホールのかなり良い席が何と20ドル。三田の幻の門から出て交差点を渡ったあたりにホールがあると考えればいいのです。60年代末期のあのあたりはマージャン屋ばかりでした。日米の大学環境の差には大きいものがあります。

さて、今回の話はドイツとアメリカの差です。日頃聞くシカゴ響の団員は皆かなりリラックスした感じで、自由に演奏しています。ハイティンクや以前指揮していたショルティは、各団員の個性を生かしつつ全体をまとめている感じがします。それに比べると、ヤンソンのドイツの楽団はまさに一糸乱れぬ、完璧なまとまりです。第1バイオリンもチェロもそれぞれ集団で波のように同じ方向に揺れながら演奏します。私も前の席の人も音楽に合わせて太った体を揺らせていました。

ところで、シカゴ響では団員にかなり技量の差があるように見られます。他の職業に比べ楽団員は所得が低いのか、ほとんどの団員が外国人のようで、特にバイオリンは中国や韓国の女性が目立ちます(第1バイオリンは台湾人、第2バイオリンも中国人)。年齢もかなり若い人が多いようです。バイエルンは一人アジア人がチェロを弾いていますが、あとは全てドイツ人のようです。女性の比率は少なく、個人の技量にはそれほど差がない感じです。年齢も中年の人が中心です。

もう一つのドイツとアメリカの経験をご紹介しましょう。先週金曜日昼飯時、わがビジネススクール金融学科では独ジーメンス社のM&A部門ヘッドを招いて勉強会が開かれました。出席した金融学科の教授10人ばかりはいずれも企業金融や投資理論、企業の価値評価を教えています。彼らの質問は、ジーメンスが内外の企業を買収するときに、どのような企業評価を行い、どのような意思決定で買収するか、また不採算部門を処分するときにどのような企業評価の基準を用いるかに集中します。

我々日本人としては、M&Aに伴い関係企業とハウスバンクとの銀行取引、株式持合い関係はどうなるのだろうか、従業員代表のM&A意思決定へのかかわりはどうか、不採算部門処理に伴い従業員は簡単に首が切れるのだろうか、といった疑問がすぐに浮かぶのですが、アメリカ人教授からはそのような疑問は一切出てきません。株式市場の評価がM&Aの意思決定の全てであるということが、研究者の思考の大前提になっているからです。

次に、話が中国での買収案件に移ると、ジーメンスのM&Aヘッドはこのところ60件近くの様々な買収をやっているが、利益が出るまでには平均で5年くらいかかっていると話します。すると米国人教授からは、なぜすぐに利益の出る買収を行わないのか。会計制度の不備などで買収時に企業評価が出来ないのかとの質問が出ます。

それに対して、中国でのビジネスは昔からの取引関係があり、ファイナンス面の評価は会計上の数字には頼らずキャッシュフローや機材の価値を自ら見るが、意思決定に当たってはファイナンス面よりオペレーション面(現場の意見)が重視されることがあると説明します。

すると、米人教授陣は実務経験がなくファイナンスの研究をしている人が中心なので、このオペレーションという意味がよく分かりません。中国では他にも法制面などいろいろなリスクがあるので、ファイナンス面でかなり保守的な評価をして決定するというのがこのような国での買収の基本ではないのかという質問に飛びます。いや、現場が昔から部品取引があったりして知っているから、とジーメンス側が言っても、アメリカ人にはファイナンス面の評価より現場の意見を重視するM&Aがほとんど理解が出来ないのです。

このような議論を横で聞いていると、アメリカいう国は何と特殊な国なのだろうかと思わざるを得ません。彼らから見れば、日本やドイツのようにM&Aをやるのに現場の意見をファイナンス上の判断より重視することがあるのが、そもそも理解できないのです。株式価値をあげるためにM&Aをやり、M&Aをやって企業価値が上がらなければすぐに買った部門を売却したり閉鎖したりします。

従って、それに合うように、経営者市場、投資銀行家などのプロフェッショナル助言者や会計、ITシステムなどのインフラが出来上がっています。そのようなことを皆が前提とするようにMBA教育が行われているのです。これがアメリカの経営です。全ては市場価値で評価され、その仕組みを完璧にするために様々な規制やルール、それを監視する膨大な組織、皆がその方向に動くようなガバナンスやインセンティブの仕組みが作られています。

そのように考えると、流動的な経営者市場を含めた労働者市場、発達したプロフェッショナル、アウトソース市場、エージェンシー理論をそのまま適用した経営者監視やインセンティブの仕組み、なるべく細切れに独立事業部門化しそれぞれ分権化して経営する企業組織、忠誠心の少なくなった従業員をまとめるための強いリーダーシップや組織文化、発達したMBAやエクゼクティブ教育など、アメリカの経営の基本原理を理解するのは非常に簡単です。アメリカのビジネス周期は不安定だが、ボトムを打つのも早く、すぐに回復軌道に乗るのがよく分かることになります。

アメリカは特殊な国ではなかろうかという日頃からの思いは、ドイツとアメリカの交響楽団の相違や、両国の研究者達のすれ違う議論を見ていると、非常にはっきりして来るのです。
# by masakuhara | 2006-11-08 14:19 | アメリカ型資本主義