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日本人は英語をいつから学べばよいのか

最近の新聞では小学校から英語学習を始めることについて賛否両論が飛び交っている。反対派の急先鋒は昔同時通訳で鳴らした鳥飼玖美子氏である。その趣旨は週2時間ほど小学校で英語をやっても身に付かないし、英語をちゃんと教えられる小学校教師はいない、ちゃらちゃらした会話だけを外国から来た講師を雇ってならっても、このような講師は大抵の場合教育資格を持たず日本に物見遊山で日本に来ている連中なので、教育効果はないということのようだ。一方の推進派は日本の国際化が遅れているのは英語が話せないためで、子供のときから英会話をやればコミュニケーション能力が付くとの主張に落ち着く。

どちらもよく言うよというのが英語の習得に苦労した我々中年の感想で、海外で英語で丁々発止やるには小さなときからネイティブの発音が出来るようにしたほうが良いに決まっているし、一方で日本語もわからないような連中がいくら英語を学んでも費用の無駄以外の何者でもないといえよう。英語というのは必要で興味がある連中だけが、必要に迫られて興味が出たときからやればいいので、そのための環境として物見遊山の正式の教育を受けていなくてもネイティブのアメリカ人を雇うのは、本当に興味がある子ども達にとっては大変に良いことだ。周りにいる大学生を見ていても日本人の7割は英語など金輪際上達しそうにもない連中である。このような学生にいくら英語を教えても費用と時間の無駄以外の何者でもなく、むしろ日本語をちゃんと教えるほうがはるかに重要なことである。大方の日本人にとり英語など出来なくても、海外の大抵の重要な情報は日本語に訳されており、ビジネス交渉は英語の出来る同僚に任せるか、どうしても必要なら通訳を使えばよい。

自分自身を振り返ってみれば英語には子供のころから興味があったが、残念ながら九州の田舎の中学高校と会話が出来る教師に恵まれず、今では毎日英語を使う仕事についているのに関わらずいまだに発音や表現に苦労している。一方で田舎教師から英文法と漢文を徹底的に叩き込まれたことはその後の文章力や読解力の養成に役に立っていることは間違いない。せめて中学のときにでもネイティブの外国人と知り合いになっていたら、このような会話の苦労を今味合わずに済んだのにと思う。

このような時夏目漱石や福沢諭吉に聞けば何かいい答えを与えてくれる。中津の福沢さんに聞いてみよう。
「或は書生が日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ、英語を使い英文を用いるなぞと、取るも足らぬ馬鹿を言うものあり。按ずるにこの書生は日本に生まれてまだ十分に日本語をもちいたることなき男ならん。国の言葉はその国に事物の繁多なる割合に従って次第に増加し、豪も不自由なきはずのものなり。」(学問のすすめ17編)
by masakuhara | 2006-06-27 16:52 | 日本の欧化
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