これからの海外駐在幹部は何をどう学べば良いのか

これだけ経済のグローバル化が進み、世の中が日々動き、経済活動の情報が瞬時に世界中を回るようになると、昔の日本企業のように、何か新しいことが起きたらプロジェクトチームを組んで現地に派遣し、様々な場所を訪ねて調査し、帰国してレポートを日本語にしてまとめて提言するといった悠長なことをしている暇はなくなりました。日本でもインターネットを使って本社で多くの情報が取れるのですが、やはり現地で経済や経営、同業他社との競争状況、消費者の動きに接している人が、自分の目や耳で情報を取って、それを咀嚼し、現場発の戦略としてまとめていく必要が高くなっています。その際に、自社がやっていることを明確にまとめて相手に語れることが重要になります。

そこでは自分の見聞きした体験を思考し理論化する枠組みが必要です。このような概念化はお互いの暗黙の経験を長年知った人同士で共有することでやってきた日本人にとっては苦手な分野でした。しかし、現場の責任を任された日本企業の経営幹部は、今やそんなことは言っていれない時代になりました。日頃ローカルの従業員相手に、自社がどのような歴史や企業文化を持ち、現在どのような戦略にもとづいてグローバルな事業を進めているのか、機会を儲けて話すことは自分の経営思考の立脚点を持つのによい訓練になります。自分達が営業や工場の現場で日々やっていることは、企業全体の戦略や企業の歴史や文化とどのようにつながっているか、欧米の同業他社とどのような戦略の相違を持って競争しているのかなどを整理して話していれば、体験や具体的課題を理論化するプロセスが身についてくるのです。本社の戦略や現地の課題を日本人派遣社員だけで飲み屋で集まって話している時代は終わったのです。

私は、日頃企業研修などで、グローバルに比較する思考と、歴史を振り返ってみる思考が、これからのグローバル人材にとりとても重要だと話しています。特に、アメリカの企業と日本の企業はその持つ人的資源や他の企業との関係、おかれている競争状況が大きく違っています。グローバリゼーションの中では、アメリカ企業を前提にした経営理論が主流を占めていますが、それは極端に言えば、特殊アメリカ企業だけを説明できる理論で、日本企業の行動原理は違うと考えておいて間違いありません。それを皆さんは現場の体験を概念化することでローカル社員や海外の取引先に伝えていくのです。このような違いは、常にグローバルに比較する思考の中で整理しておく必要があります。

また、日本がどのようにしてアジアの中で唯一近代化に成功したのか、その中で松下幸之助や本田宗一郎などの企業家達は、単に利益を追求したのではなく、従業員中心、現場中心の発想で、社会貢献を視野に入れて、結果として利益を挙げ成長したことなどを整理していけば、日本企業独自の文化や歴史の重要性が理解できます。その上で自社の歴史や文化を整理し明らかにしておけば、これからの現地戦略でも、自社として何が優先課題となるのかがおのずと判断が出来るようになります。日頃、そのようなことを繰り返し言っていれば、あの日本人幹部は何でも分かりやすく言ってくれ、しかも企業に対するコミットメントが高いとして、ローカル社員の尊敬を得ることは間違いありません。

いろんな経営学の理論を見ても、企業リーダーにとって最も重要な能力は、実務能力や対人能力ではなく、このような概念化の能力だとされています。もっとも、実務の知識や能力、対人能力が無い人には、いくら理論的であっても誰もついてきませんから、実務を良く知っており、人を大事にする上に、強い論理的、概念化の能力を持つというのが現場のリーダーにとって要求されるといったほうがいいのかもしれません。

このような理論化、概念化の能力をつけるには、日々の勉強が大事です。様々な理論的な本に目を通し、時にはMBAコースなどで開かれるセミナーにも参加することは無駄にはなりません。例えばシンガポールの幹部教育機関のセミナーでは、世界のさまざまな企業幹部が参加しており、グローバルな視点を磨き、自分の日本や自社のことを概念化し説明する能力も磨いてくれます。そこで、無理してでも自分の意見を言う必要があります。例えば、自社の活動が利益第一ではなく常に業務の中で社会貢献を視野に入れてやっていることなどを論理的に説明すれば、英語はとつとつとしていても、皆耳を傾けてくれます。米国やシンガポールの企業にとり、社会貢献は業務の外枠で、別立てで無理してやっている行為だからです。このような場で何も発言しないと、あの人とは付き合っても仕方が無いぐらいにしか思われません。
このようにして、駐在員は勉強という自己実現と、ローカル組織運営の向上という組織の成功の両方を達成することができます。これまでの、日本人駐在幹部は組織の成功が全てで、そのために休日は日本の取引先とのゴルフ、夜は日本からの出張者のための宴会で時間をつぶしてきました。もうそのようなことはやめて、もっと自己実現とのバランスを図るようにする時代であり、また本社でも勉強もしないで接待にうつつをぬかすような幹部はグローバル競争の中では無用と思い始めているのです。

こう考えてくると、日本人の海外駐在員も、英語をベースにした専門知識、グローバルな理解、歴史認識、などを身に付け、アジアの若いグローバルに通用する人材のリーダーとなることが求められていることが明らかです。本社の指令の現場への通訳で『思考なき肉体力』に過ぎなかった駐在員の時代は終わり、グローバルで論理的な思考をし、現場からの価値想像力を持つ『頭脳を持った肉体力』の時代が来ていることを肝に銘じて、駐在員幹部の皆様が自立のための勉強に励まれることを望みます。
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# by masakuhara | 2007-07-11 18:21

グローバリゼーションと中国、インドの人材の国際分業への参入

ここでこれからの日本のビジネス人材養成を考えるにあたり、中国とインドの経済成長の中で、日本の位置づけがどのように変わったかを概念として理解しておくことが重要な気がします。1987年の大前研一(『トライアドパワー』)による世界の三極体制によれば、当時米国のGDPの2分の1を占め、EUを抜いた日本は、押すに押されぬ世界の三極体制の柱に躍り出て、この3極で世界のGDPの70%を占めるに至ります。その後の日本経済の長い低迷と資本主義化した中国とIT大国化したインドの勃興は、旧来の三極体制を崩壊に導きます。国際的に有名なマーケティング大家のShethエモリー大学教授によれば、米国が経営力による世界の本社機能、中国はオフショアリングによる世界の工場機能、インドはアウトソーシングによる世界のIT頭脳機能、を分担する新たな三極体制に移行しているとされます。

アメリカは2001年9月11日以降、海外からの移民に対するビザを絞ることになりますが、自国に優秀な労働者を移民として受け入れなくても、IT技術の発達により、中国の低賃金工場労働者と優秀なエンジニアをサプライチェーンに組み入れ現地で使い、インドの優秀なIT技術者やコールセンターのオペレーターをアウトソーシングによりバンガルーに居るままで使うことができるようになります。この3国は英語をベースとしたインターネットによるネットワークで結び付けられていますので、そのようなネットワークを自由に操れる米国の多国籍企業は、グローバリゼーションの最大のメリットを得ていることになるのです。今や中国とインドを中心とするアジア諸国は英語を自由に操るプロフェッショナルな若手人材を通じ、米国を中心にした先進国経済と直接結びつくことになり、知識労働者を通じ情報は瞬時に動き、時間空間を超えて安価で最適の人材がグローバル企業によって活用されているのです。

製薬やITの研究開発までもが市場が大きく人材の居るインドや中国にシフトし、これまで日本のつくばに拠点を置いていた欧米製薬会社は拠点の廃止を検討しています。日本はグローバルに通用する人材が不足しているために、この新しい三極体制に乗り遅れている可能性があります。日本の製造業は現在までのところ中国の工場との分業体制で、多くのメリットを得ており、そこでは日本語を学んだ中国人や中国語を学んだ日本人が知識やノウハウを移転し、工場をマネジしています。しかし、上記のような新三極体制が優勢になってくると、英語とITを媒介にしたグローバルなオペレーションとなりますので、日本製造業の優位性が失われる可能性があります。日本企業も早く中国人やインド人のグローバルヒューマンタレントを人材の中核に起用し、新たな三極体制の中での位置づけを固めておく必要性が高いのです。
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# by masakuhara | 2007-07-11 18:19 | アメリカ型資本主義

世界の大学間競争

この半年各地を回りビジネス教育の現場経験を続けて来ました。ブルガリアでは教室は何とか資格を得て自国を脱出しEUで職を得ようという若者の熱気であふれていました。この大学院の代表者二人は私とほぼ同年齢で、外国語はロシア語とドイツ語を少々、英語は全く通じません。ところが40歳以下になると突然流暢な英語を操る若者が大量に出てきます。大学院に来るような人の能力水準は非常に高く、これが流暢な英語を操り、米国流の経営戦略論を語るのを聞くと、明日からでも英国の金融機関で働けそうです。しかし、そのような若者同士の競争は激しくなっています。

シカゴでは、多くの若年勤労者が、毎晩6時から9時までの夜間のビジネススクールに必死で通ってきます。大学卒の学歴だけでは中間管理職への登用もままならず、MBAはキャリアアップのための必要最小限の免状です。私の教えた夜間のビジネススクールには何と3000人もの学生が在籍し、シカゴのダウンタウンの真ん中に巨大なビルを買い取って、100ぐらいありそうな全ての教室が毎晩満員です。MBAコースの競争が激しいので、この学校では差別化を図るため、インドや中国、韓国、ベトナムなどアジア諸国出身の米国で博士号を得た教員を多く採用し、国際化を売り物にしています。

シンガポールのSMUは2000年に国策で新設された、ビジネス、会計、IT,経済学・社会科学、法、の5学科を抱える文科系の大学です。皆さんが街中を通るときに目にするその立地と斬新な設計を見るだけでも、シンガポールをグローバル教育の拠点にしようという政府の力の入れ方が分かります。地元の高校でトップクラスの成績を得た学生と、シンガポール政府の奨学金を得たインドなど近隣諸国の優秀な学生が入学しています。最大の教室でも55人収容という設備の整った階段教室で、欧米から採用された教員や欧米の一流大学で博士号を得たシンガポール人教員が、アメリカ型のビジネス教育を行っています。学部長によれば、教育内容があまりにもアメリカ型になりすぎており、アジアの経営についても力を入れたいというのが、私が頼まれた「日本企業経営」の科目を新設した理由のようです。

このように欧、米、アジアと3大陸を回ってビジネス教育を経験してみると、世界の若者が世界に通用するグローバルヒューマンタレントととなるべく、競って英語をベースとしグローバルな視野を持ったビジネス教育を受けていることが分かります。

皆さんご承知の通り、シンガポールは経済効果のある大学レベルの教育機関の誘致育成を国策とし、アジア太平洋地域での国際教育の拠点国家となることを目指しています。その中で、ビジネス教育については、単に大学教育だけではなく、アジアの地域本部を置く多国籍企業の幹部教育訓練のセンターとなることも目指して、特に力を入れています。国内のNUS,NTU、SMU3大学はいずれも世界レベルのビジネススクールを持ち、シカゴ大学やINSEADなど世界一流のビジネススクールがシンガポールにキャンパスを持ちます。日本からも早稲田大学ビジネススクールがNTUと提携して、進出したばかりです。SMUでは企業の幹部教育の特別のプログラムを持ちますが、既に日本の大手金融機関がアジア地域の人材育成のプログラムを発注しているそうです。

国際的な研究や教育の実績や体制が整っているかを基準にした、Times社によるアジアの総合的な大学ランキングでは、北京大が1位、シンガポール国立大学(NUS)と東京大学が並んで3位に入っています(2位はオーストラリア国立大学)。 各大学は次のような多数の留学生を抱え、優秀な留学生の獲得競争の成果がこれらの大学の地位を決める一つの要因となっているようです。
総学生数長期留学生短期留学生国数
北京大学46千人1825人1200人80カ国
NUS32千人8500人925人88カ国
東京大学28千人2269人-88カ国

このランキングを見ると日本からは他に、京都大学(7位)、大阪大学(19位)が入っていますが、中国が清華大学(6位)、香港大学(8位)、香港中華大学(13位)、香港技科大学(15位)、と入っているのと比べると見劣りしますし、シンガポールからはNTUが16位にはいっています。日本の大学がランキング入りしているのは、多分に理科系の国際敵競争力によっている面が多く、これを文科系で比較すればおそらく日本の大学はどこもランキングに入れないことが危惧されます。

表。アジア太平洋のトップ20大学(出所:The Times Higher World Rankings Oct, 2006)
1Beijing University11Queensland University
2Australian National University12Auckland University
3Singapore National University13Chinese University of Hong Kong
4Tokyo University14Indian Institute of Technology
5Melbourne University15Hong Kong University of Technology
6Tsing Hua University16Nanyang Technological University
7Kyoto University17Seoul National University
8University of Hong Kong 18Indian Institute of Management
9Sydney University19Osaka University
10University New South Wales20Otago University


このように、これからのアジアの大学はグローバルヒューマンタレントの養成をめぐって熾烈な競争に入っていくものと考えられますが、日本の大学の実情、特にビジネス教育面での競争力はお寒い限りです。英語をベースにした専門教育に取り組む大学は数えるほどしかありませんし、そこでも英語で専門教育を行える日本人教員の人材不足は大きな問題となっています。また、日本の大学は語学の先生もファイナンスの先生も同じ給与のため、国際的に見てビジネス教育を行う教員の給与レベルが低くなりすぎて、米国人はおろか、インドや中国からも英語でビジネス教育を行う優秀な人材を日本の大学で雇うことは困難になっています。

このような現状を考えると、日本企業は当面はシンガポールあたりの教育インフラを利用してグローバルヒューマンタレントの採用や訓練に取り組んだほうがいいのかもしれません。
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# by masakuhara | 2007-07-11 18:17 | アメリカ型資本主義

グローバリゼーションとグローバル・ヒューマン・タレント

筆者は九州別府の新設大学で留学生の教育に携わって6年になります。この間、英語のみで授業するMBAコースの設立運営を行ってきました。昨年の8月から半年間研究専念期間ということで、ブルガリアのソフィアに始まり、米国シカゴと回って、この年初からシンガポールに来て、シンガポールマネジメント大学(SMU)で研究の傍ら、”Management in Japan”のタイトルで学部生に授業を行って来ました。

シンガポールには1980年代に銀行の出張で何度か訪れて以来ですので、その変貌と現在の繁栄振りにひたすら驚いてこの3ヶ月を過ごしました。幸か不幸か銀行員時代と違い大学では滞在費も出ませんので、古いアパートの狭い1室を間借りして、公共交通を利用し自分の足で町を回っていると、繁栄の陰にも様々な問題があることも見えてきます。特に若者が、過剰なまで入れ物だけが整備された数多くの高等教育機関の中で、だんだんスポイルされてきている感じは強く感じました。また、日本経済との関係では、様々な日本の消費財が街の商店街で定着している一方で、日本の金融機関の数が大幅に減り、昔のような地域経済の中での大きな存在感の無いことにも気がつきます。

さて、シンガポールに来て、フィリピン、マレーシア、タイ、インドネシアからそれぞれ訪ねてくれた私の日本の大学の卒業生と話していて、彼らがいずれも複数の日系を含む国際企業でいい仕事についており、何人かは既に複数の企業を転職し、しかも、いつでも他の一流企業からオファーを受ける状況にあることに驚きました。しかもそのような人材のアジアでの就職情報がシンガポールを中心に回っているようです。

アジア地域の多国籍企業拠点では、英語で一定の専門教育を受け、グローバルな生活経験のある人材を求めており、現状では、供給に対して需要が過多で、そのような人材は簡単に東京でも、香港でもシンガポールでもどこでも職が得られるのです。

そこで、このような人材を『グローバル・ヒューマン・タレント(GHT)』と名付けて、その定義を検討してみました。そこでの基本要件は次のようになると思われます。
英語による専門教育を受けていること、
グローバルな視野と経験があること、
歴史的視野とアジアという地域特有の文化や伝統に対する理解をある程度もつこと、
多様な人々の間でのコミュニケーション能力を持つこと、
まだ若く、家族などのしがらみも無いので、どこの国に移動しても働けること、
これらの要件を整えれば、アジアの若者は国籍を問わず貴重な人材として多国籍企業でかなりの所得を得ることが出来るのです。

シンガポールで、何人かの日本企業の現地代表者と話していると、このような人材を数多く雇い活用できるかどうかが、これらの企業の今後のアジア地域での競争力の鍵になるようです。ある大手自動車部品メーカーはそのためにアジア人材本部をシンガポールに設けたそうですし、ある大手金融グループでも、シンガポールでアジア全域のプロフェッショナルな人材を採用する方向で検討中だそうです。
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# by masakuhara | 2007-07-11 18:12 | 日本の欧化

ドイツとアメリカ

d0020127_12283616.jpg昨夜シカゴにヤンソン指揮バイエルン交響楽団が来たので、シンフォニーホールに聞きに出かけました。ヤンソンの得意なショスターコビッチとシベリウスです。ホールは大学から1ブロック、開演30分前に行けば安い券が手に入ります。メインホールのかなり良い席が何と20ドル。三田の幻の門から出て交差点を渡ったあたりにホールがあると考えればいいのです。60年代末期のあのあたりはマージャン屋ばかりでした。日米の大学環境の差には大きいものがあります。

さて、今回の話はドイツとアメリカの差です。日頃聞くシカゴ響の団員は皆かなりリラックスした感じで、自由に演奏しています。ハイティンクや以前指揮していたショルティは、各団員の個性を生かしつつ全体をまとめている感じがします。それに比べると、ヤンソンのドイツの楽団はまさに一糸乱れぬ、完璧なまとまりです。第1バイオリンもチェロもそれぞれ集団で波のように同じ方向に揺れながら演奏します。私も前の席の人も音楽に合わせて太った体を揺らせていました。

ところで、シカゴ響では団員にかなり技量の差があるように見られます。他の職業に比べ楽団員は所得が低いのか、ほとんどの団員が外国人のようで、特にバイオリンは中国や韓国の女性が目立ちます(第1バイオリンは台湾人、第2バイオリンも中国人)。年齢もかなり若い人が多いようです。バイエルンは一人アジア人がチェロを弾いていますが、あとは全てドイツ人のようです。女性の比率は少なく、個人の技量にはそれほど差がない感じです。年齢も中年の人が中心です。

もう一つのドイツとアメリカの経験をご紹介しましょう。先週金曜日昼飯時、わがビジネススクール金融学科では独ジーメンス社のM&A部門ヘッドを招いて勉強会が開かれました。出席した金融学科の教授10人ばかりはいずれも企業金融や投資理論、企業の価値評価を教えています。彼らの質問は、ジーメンスが内外の企業を買収するときに、どのような企業評価を行い、どのような意思決定で買収するか、また不採算部門を処分するときにどのような企業評価の基準を用いるかに集中します。

我々日本人としては、M&Aに伴い関係企業とハウスバンクとの銀行取引、株式持合い関係はどうなるのだろうか、従業員代表のM&A意思決定へのかかわりはどうか、不採算部門処理に伴い従業員は簡単に首が切れるのだろうか、といった疑問がすぐに浮かぶのですが、アメリカ人教授からはそのような疑問は一切出てきません。株式市場の評価がM&Aの意思決定の全てであるということが、研究者の思考の大前提になっているからです。

次に、話が中国での買収案件に移ると、ジーメンスのM&Aヘッドはこのところ60件近くの様々な買収をやっているが、利益が出るまでには平均で5年くらいかかっていると話します。すると米国人教授からは、なぜすぐに利益の出る買収を行わないのか。会計制度の不備などで買収時に企業評価が出来ないのかとの質問が出ます。

それに対して、中国でのビジネスは昔からの取引関係があり、ファイナンス面の評価は会計上の数字には頼らずキャッシュフローや機材の価値を自ら見るが、意思決定に当たってはファイナンス面よりオペレーション面(現場の意見)が重視されることがあると説明します。

すると、米人教授陣は実務経験がなくファイナンスの研究をしている人が中心なので、このオペレーションという意味がよく分かりません。中国では他にも法制面などいろいろなリスクがあるので、ファイナンス面でかなり保守的な評価をして決定するというのがこのような国での買収の基本ではないのかという質問に飛びます。いや、現場が昔から部品取引があったりして知っているから、とジーメンス側が言っても、アメリカ人にはファイナンス面の評価より現場の意見を重視するM&Aがほとんど理解が出来ないのです。

このような議論を横で聞いていると、アメリカいう国は何と特殊な国なのだろうかと思わざるを得ません。彼らから見れば、日本やドイツのようにM&Aをやるのに現場の意見をファイナンス上の判断より重視することがあるのが、そもそも理解できないのです。株式価値をあげるためにM&Aをやり、M&Aをやって企業価値が上がらなければすぐに買った部門を売却したり閉鎖したりします。

従って、それに合うように、経営者市場、投資銀行家などのプロフェッショナル助言者や会計、ITシステムなどのインフラが出来上がっています。そのようなことを皆が前提とするようにMBA教育が行われているのです。これがアメリカの経営です。全ては市場価値で評価され、その仕組みを完璧にするために様々な規制やルール、それを監視する膨大な組織、皆がその方向に動くようなガバナンスやインセンティブの仕組みが作られています。

そのように考えると、流動的な経営者市場を含めた労働者市場、発達したプロフェッショナル、アウトソース市場、エージェンシー理論をそのまま適用した経営者監視やインセンティブの仕組み、なるべく細切れに独立事業部門化しそれぞれ分権化して経営する企業組織、忠誠心の少なくなった従業員をまとめるための強いリーダーシップや組織文化、発達したMBAやエクゼクティブ教育など、アメリカの経営の基本原理を理解するのは非常に簡単です。アメリカのビジネス周期は不安定だが、ボトムを打つのも早く、すぐに回復軌道に乗るのがよく分かることになります。

アメリカは特殊な国ではなかろうかという日頃からの思いは、ドイツとアメリカの交響楽団の相違や、両国の研究者達のすれ違う議論を見ていると、非常にはっきりして来るのです。
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# by masakuhara | 2006-11-08 14:19 | アメリカ型資本主義

シカゴ商品取引所とノーベル経済学者の幸福な共存

  8月からシカゴに来ています。先週シカゴ商品取引所(CME)と数理科学研究所(MSRI)共催の2006年イノベーティブ数理科学応用賞授賞式とセミナーに出席してきました。
ノーベル経済学者のマイロン・ショールズ、シカゴ大教授
http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/1997/merton-autobio.html
ロバート・マートン、ハーバード大教授(前回日本で会ったときより髪を染め若返っていました)
http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/1997/merton-autobio.html
と物理や数理ファイナンスの博士号を持つ3人のクオンツをパネルに迎え、セミナーはショールズのかなり長いスピーチから始まりました。

  ショールズは恩師マートン・ミラー教授のジョークから始めます。シカゴ大学ではノーベル賞級の大御所も街中の校舎で夜学に通う学生を教えなければなりません。そこで、授業のある夜は必ず連れ立って授業の前に夕食をとることにしていたそうです。そこでのマルティーニ一杯はミラー教授にとって授業をリラックスして進めるための最良の薬でした。ある夜、ミラー教授が2杯目のマルティーニに口をつけるので、ショールズ教授は2杯目ですよと注意したところ、いやこの方が落ち着いて授業ができるということでした。

  ところがその夜授業で起きたことは、次のような話でした。ミラー教授が教室に入りいつものように黒板に数式を書き始めると、学生が「プロフェッサー」といっています。それでも気にせずに数式を書き続けていると、別の学生が「プロフェッサー」というので、振り向いて、「静かに終わるまで待ちなさい今日の授業の数式を書いているところだから」と言って、数式を書き続けました。なお学生が何か騒いでいるので、もう一度振り向いたところ、さっきの学生が言いにくそうに「先生ここは先生の教室ではないのですが」と言ったのです。

  ショールズ教授の話は、数理モデルがどのようにして様々なリスクの解明に役立ってきたかの話から展開し、現実のファイナンスと数学モデルの幸福な組み合わせについて述べていきます。オプション理論の黎明期に活躍できた先駆者の幸福を語ると共に、今後まだまだ数理モデルのファイナンス実務への応用の範囲が開かれていることを伝えます。それは個人の全ライフサイクルに関するリスクのヘッジを解明するモデルです。不確実性下におけるダイナミック・オプチマイゼーション・モデルこそ、退職する世代のリスクをヘッジで切る金融のイノベーションになると言って話を締めくくります。

  マートン教授は数理モデルが先にあって、それに現実を当てはめるのではなく、現実世界を説明できるモデルが重要で、ノンリニアなモデルはこのような現実世界のリスクの解明に大いに役立っており、他の経済学の分野ではこのように実務と理論が密接に関連している分野は無いとします。これからの分野として、例えばリグレット・インシュアランスというアイデアを提供します。これは、株式投資の世界では、売ろうと思って売らなかった株が下がり、買おうと思って買わなかった株が上がるので、後から振り返って過去3年間の最も高いところで売却でき、最も安いところで購入できる保険です。このような商品はすでにルックバック・オプションと言うアイデアで理論的な解明ができており、実用化できれば大変なイノベーションになるとします。

  3人のクオンツたちはそれぞれ、いまや市場で取引されるオプションは取引所を通さずコンピューターの箱の中で全てマーケットメイクできるが、市場がコンピューターの速度について行けなくなるようなことが起きることなどを話します。これに対して、別のパネリストは、投資家サイドもコンピューター・モデルで投資すると、コンピューター同士が取引することで、全くおかしな方向に取引が動いてしまうようなリスクをコメントします。

  また、別のパネリストは最近のヘッジファンドの大きなトレーディングの損失に触れ、12人のリスク管理者が管理していたヘッジができていると考えられたオプションのポシションで60億ドルもの損失が出てしまったのは、ポシションが大きすぎて、相場が急激に動いた場合に、損切りができなくなるリスクであったことを述べます。これは、VaRをはじめてとする統合的なリスク管理手法が、過去のデータのみに基づいており、初めて起きるようなことは全く想定できないことと、そのような突発的な出来事が流動性のリスクにつながるような場合、モデルは無効になってしまうことを述べます。聴衆のCMEの実務家からは、モデルに関係なくフロアで市場の動きを見て取引することの重要性が説かれます。

  このような話を聞いていくと、アメリカの先物やオプションの市場では、非常に幸福な実務と理論の結合が見られ、実務家も学者の意見を非常に大事にしていることが実感できます。学者が実務家の聴衆を前に、数式ではなく非常にわかりやすい直感的な事例を用いてやさしく現実の問題を解説できる点に、アメリカの経済学の優位性があるような気がします。
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# by masakuhara | 2006-09-25 13:33 | 日本の欧化

ブルガリアでの経済協力プロジェクトから学んだこと

ブルガリア
  ブルガリアは旧東欧の中で経済的に最も取り残された国の一つで、2007年のEU入りを控えて、ビジネス人材の育成は最大の課題の一つでした。そこでJICAではこのプロジェクトを採り上げ、我々の大学に丸ごと請け負うことができるかどうか打診してきたのが4年前のことでした。

  日本からブルガリアは遠い国です。ウイーンで4,5時間待って便を乗り換え、日本を出発してから約20時間後の真夜中にブルガリアに到着します。乗っている人はいかにも旧共産国といった風情の、どこと無くくすんだ風情の人が多く、飛行場からホテルまでの深夜の道は舗装が穴だらけで、道路の周辺は工事中の建物だらけ、30年前に駐在していた街中普請中のサウジアラビアを思わせる風景でありました。

  翌日現地で提携予定のソフィア総合経済大学大学院の校舎を訪ねて驚きました。我々団塊の世代には懐かしい、あの戦後の草ぼうぼうの焼け跡の中の軍の兵舎を転用した荒れ果てた校舎そのものでした。
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大学院のバラック校舎(正面のゲートは校舎の古さを隠すため昨年取り付けたもの)

この建物は、旧社会主義体制下、医療と教育のような国家が提供する無料サービスのハード面には十分な投資が行われず、一方で教室内の備品が盗まれないようにドアと窓には鉄格子を頑丈にすえつけるというシステムの産物であったことが後からわかります。何と35年前に仮校舎として造られたものが、そのまま現在に至っていたのです。学校の周りは野良犬の行き来する荒野で、中庭には何年も手入れしていない草が生い茂っていました。

  首都ソフィアはかつて1930年代ごろまでは東欧のパリと呼ばれ、非常に繁栄していたこと、ブルガリア王国はバルカン半島全域に影響を及ぼす大国であったこと、第2次大戦ではドイツ、イタリアに次ぐ枢軸国として日本の同盟国であったことなど、不勉強な筆者が知らなかったことがやがてわかってきます。

  このような不幸な歴史の中で翻弄されたブルガリア国民には、集団というものに対する不信感が根付いています。親族や同郷の仲間以外に信頼をおくことが困難になっているのです。従って個々人は優秀だが、チームになると物事がワークしなくなります。一方、東洋の小国日本に対する親近感が厚く、日本的経営に対し神話的な憧れがあり、それを学べば、自分のやるビジネスが即座に成功に導かれるかのように勘違いしている面があるのはご愛嬌です。

ブルガリアでのプロジェクト
このようにして2004年4月から3ヵ年のプロジェクトが始まりました。プロジェクトの柱は、年2回3ヶ月程度の期間を1コースとして現地側講師とAPUからの短期派遣専門家講師とで催される現地人材開発センターでの授業と、このコースで講師を担当する現地側教授陣の日本での2-3ヶ月間の研修です。

  現地での授業は、毎週土日丸1日をかけて1教科を教えます。3ヶ月にわたって10数科目でコースが終了し、修了生にはAPUとソフィア総合大学大学院連名の修了書が渡されると共に、成績優秀者数名はJICAの日本での研修に派遣されます。筆者は年2回「日本の企業経営」のタイトルで、アメリカ流のグローバル経営が一般化する中、日本的なよさとグローバルな基準の良い点の双方を取り入れる日本企業の経営改革や、中小企業の経営革新を教えています。

  受講生は男女半々で、30代が中心です。受講生の職業は様々ですが、全体として中小企業に勤務しているものが多く、EU加盟後の次の転職の機会をにらんで、自己研修に来ている感じです。ブルガリアの規模の大きい企業は、効率の悪い旧国営企業が中心で、チームワークの問題から新興企業が成長して大企業になる可能性も低く、むしろブルガリアの若い人の多くは、自分で小さなビジネスをやりたいと考えているようです。日本企業の特徴であるチームワークについて説明すると、皆がそれは理屈としてはわかるが、ブルガリアでは実現不可能だといいます。これだけ企業への定着率が低く、多くの人が転職の機会を覗っているとなると、この国での企業経営も難儀だなーと思ってしまいます。


プロジェクトから学んだこと
  2004年4月に開始されたプロジェクトも3年たち、本年度が最終年度を迎えています。今では年2回のブルガリア出張も故郷に帰るような感じで、現地の先生方との信頼関係は深く、受講生とのコミュニケーションもスムーズです。
  
  このような地域協力は、人材育成という結果がすぐには目には見えない形のものであるだけに非常に難しいものです。しかし、日本のビジネスは、経済のグローバル化の中で一般化しているアメリカ型の市場原理主義とは異なるモデルを用いて、高い成果を達成しています。アメリカとは違う歴史や文化を持つ途上国の若い人材が、このような日本のビジネスモデルを学ぶことは、非常に大きな意味がある気がしています。

  我々自身がこのような形で日本のビジネスの現状について外国の人にわかる形でまとめることは重要なことです。日本の企業経営にもいろいろなものがあり、日本的経営と一言で片付けるわけにはいきません。しかしながら、米国のように厳しいルールや監視の中で市場原理主義的を徹底するという選択肢の少ないシステムに対して、日本は企業に様々な選択肢を提供しており、途上国に移転する価値のある経済や経営のモデルであると言う事ができます。

  このように考えてみると、途上国のビジネス人材の研修を請け負うことは、我々日本人にとっても大きな意味があるのではないかと思われます。このような研修の機会を通じ、我々自身が、日本のシステムにどのようないい面があり、それが途上国の経済発展にとってもどのようなメリットがありそうだといったことに気付き、その気付いたことを整理して海外に伝えていく事によって、日本の経済や経営のシステムをこれからどうするかを考えるいい機会を与えてくれてくれるからです。
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# by masakuhara | 2006-09-22 23:11 | 日本の欧化

日本人は英語をいつから学べばよいのか

最近の新聞では小学校から英語学習を始めることについて賛否両論が飛び交っている。反対派の急先鋒は昔同時通訳で鳴らした鳥飼玖美子氏である。その趣旨は週2時間ほど小学校で英語をやっても身に付かないし、英語をちゃんと教えられる小学校教師はいない、ちゃらちゃらした会話だけを外国から来た講師を雇ってならっても、このような講師は大抵の場合教育資格を持たず日本に物見遊山で日本に来ている連中なので、教育効果はないということのようだ。一方の推進派は日本の国際化が遅れているのは英語が話せないためで、子供のときから英会話をやればコミュニケーション能力が付くとの主張に落ち着く。

どちらもよく言うよというのが英語の習得に苦労した我々中年の感想で、海外で英語で丁々発止やるには小さなときからネイティブの発音が出来るようにしたほうが良いに決まっているし、一方で日本語もわからないような連中がいくら英語を学んでも費用の無駄以外の何者でもないといえよう。英語というのは必要で興味がある連中だけが、必要に迫られて興味が出たときからやればいいので、そのための環境として物見遊山の正式の教育を受けていなくてもネイティブのアメリカ人を雇うのは、本当に興味がある子ども達にとっては大変に良いことだ。周りにいる大学生を見ていても日本人の7割は英語など金輪際上達しそうにもない連中である。このような学生にいくら英語を教えても費用と時間の無駄以外の何者でもなく、むしろ日本語をちゃんと教えるほうがはるかに重要なことである。大方の日本人にとり英語など出来なくても、海外の大抵の重要な情報は日本語に訳されており、ビジネス交渉は英語の出来る同僚に任せるか、どうしても必要なら通訳を使えばよい。

自分自身を振り返ってみれば英語には子供のころから興味があったが、残念ながら九州の田舎の中学高校と会話が出来る教師に恵まれず、今では毎日英語を使う仕事についているのに関わらずいまだに発音や表現に苦労している。一方で田舎教師から英文法と漢文を徹底的に叩き込まれたことはその後の文章力や読解力の養成に役に立っていることは間違いない。せめて中学のときにでもネイティブの外国人と知り合いになっていたら、このような会話の苦労を今味合わずに済んだのにと思う。

このような時夏目漱石や福沢諭吉に聞けば何かいい答えを与えてくれる。中津の福沢さんに聞いてみよう。
「或は書生が日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ、英語を使い英文を用いるなぞと、取るも足らぬ馬鹿を言うものあり。按ずるにこの書生は日本に生まれてまだ十分に日本語をもちいたることなき男ならん。国の言葉はその国に事物の繁多なる割合に従って次第に増加し、豪も不自由なきはずのものなり。」(学問のすすめ17編)
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# by masakuhara | 2006-06-27 16:52 | 日本の欧化

金融資本主義と改革者の運命

このところ世を騒がすものは、金融資本主義に怨嗟を持つ大衆を煽ぐマスコミによる改革者たたきである。日本の金融改革者たちは本家アメリカのそれに比べその志が低く、イノベーションと呼べるものを世の中にもたらしているとはいいがたい。マスコミの改革者たたきもおかしいが、まだ日本の改革者たちは真の改革者のレベルに達していないのである。筆者はたまたま1999年にアメリカの金融改革者マイケルミルケンについて調べたことがある。詳しくは『金融イノベーター群像』シグマベイスキャピタル、1999を見ていただきたいが、その出だしに次のように書いている。日本の似非改革者たちもここでマイケルミルケンの行き方を見直す必要がありそうだ。ミルケンについて詳しくは次のウエッブサイトで見れる。http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Milken

「金融のイノベーションは競争心と野心に燃えたプレーヤーたちによってもたらされる.そこで扱われる商品がマネーであり、成功した際の報酬が他の産業に比べてあまりにも刺激的過ぎて、時に不正や犯罪を生む.高額な報酬を求めて高度に競争的なアメリカの金融市場では、起こり得る逸脱をチェックするために幾重にも張り巡らされた監視や裁定の網がある.その金融上の発明があまりにも高額の富を生んだために、大衆の怨嗟を背景とした当局により80年代アメリカ経済のバブルの負の遺産の主役の一人に仕立て上げられたのが、マイケル・ミルケンである.
その後のアメリカ経済の回復と、彼が金融を組み立てたMCIやターナー等の企業経営の成功と共に、ミルケンは犯罪者ではなく戦後最大の金融イノベータ‐の一人で、時代の犠牲者であったとの声が一般化してきた.彼が生涯のビジョンとしてアメリカの教育改革に取り組み、獄中で発病した瀕死の前立腺ガンから立ち直り、ガン撲滅のための活動に財産をなげうっているのを見て、多くのマスコミは今ではミルケンを戦後生まれの中年世代の行き方の一つの理想モデルとして取り上げるようになった.
翻って日本を見ると、大蔵省を頂点とする階層社会モデルの崩壊と、企業社会を直撃するリストラの嵐の中で、これまでのシステムを信じその中にすべてをささげてきた金融関連業務に携わる多くの中年世代は、この動きに翻弄され完全に自信を失ったように見える。しかしあきらめるのは速い、ミルケンの全精力をかけた金融イノベーションへの取り組みと、その後降りかかる極刑、致命的な病、家族の不幸に全力で立ち向かいこれを克服し、癒しを求める姿は、日本の団塊の世代を中心とした中年世代のこれからの行き方に大きな希望を与えるものといえる.」
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# by masakuhara | 2006-06-23 11:43 | 日本の欧化

アジアと関係を結べなくなった九州

明治以前の国際文明の窓口であった吸収は、何故国際化やアジアとの関係においてその役割を東京谷田の地域に奪われてしまっているのであろうか。国際化の潜在力をもった有能な九州出身の若い人材は東京へ出てそこをベースに国際的活動を行う。国際化した大企業の支店経済都市と化した福岡には、大企業の中で必ずしも国際的センスを持たない人材が送られてくることになる。大企業の九州工場は海外へ輸出する製品を製造し出荷するが、売買や輸出の交渉、契約は本店を通じ行われる。九州で消費される輸入品も東京の本社を通じ契約が締結され、日本の様々な港を通じて輸入されたあと九州に届けられる。国際人材をあまり必要としない自動車の荷役などは九州でも行われるが、付加価値の高い取引は基本的に東京などの本店で集中して行われ、アジアと諸国や企業との関係も本店を通じ蓄積されている。頭脳を使う取引を東京に奪われた中で、アジアと関係の深い九州経済はお題目に過ぎなくなってしまう。

鎖国時代に日本の近代化をリードした九州は、アジアを通じて欧州に繋がることでその独自性を発揮した。薩摩藩、鍋島藩、平戸松浦藩などの藩間の国際化競争は西欧文明の日本への移転の大きな原動力となった。薩摩、鍋島では西欧の近代軍事力に直面し、大砲や蒸気機関の国産化へ向かった。秀吉が朝鮮から連れ帰った陶工により鍋島藩の特産となった白磁有田焼は、清の内乱で生産中止に追い込まれた景徳鎮の代替品として、平戸に拠点を持つ鄭成功一派により青磁の技術移転を受け、伊万里ブランドをつけて欧州に輸出され、17世紀中盤の欧州市場を席巻した。

このようなアジアに開かれた九州は藩という地方分権体制間の競争によってもたらされた面が大きく、そのような情報の拠点であった長崎は各地から若い優秀な人材をひきつけた。藩校での儒教を基本とする教育に飽き足らない中津藩の福沢諭吉も鍋島藩の大隈重信も長崎で蘭学を学ぶことで、明治の日本をリードする知識人となった。長州藩吉田松陰は19歳で長崎平戸に旅立ち葉山佐内の元で蘭学者の書物を濫読し、グローバルな視点からの攘夷論の思想的基盤を得た。

九州が本気でアジアとの関係を強化しようとするのなら、現在の日本の中央集権の諸制度の大幅な変更をするしかないであろう。廃県置藩でも道州制でも、そのような制度の改革なしに、九州に国際化を目指す若者が集まるわけはなく、アジアの留学生が居つくことも考えにくい。
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# by masakuhara | 2006-06-20 15:47 | 日本の欧化